出発が近づいているというのに、イスタンブールについて、
これまで「地球の歩き方」をぱらぱらとめくっただけだった。
少しは下調べもせねばと、やっと図書館で、
検索したトップ5冊をろくに吟味もせずに予約し、借りてきた。
うち二冊は路地裏散歩とか、街歩き情報といったたぐいで、
いずれも同じようなイラストつき。
情報はエリアごとのお店関連ばかりで(特に食事多し)、
歴史も観光施設も見事にゼロ。
これはこれでいいんだろうけれど、ざくざくページをめくり終わって、
なんだかなあ…と思う。
そういえば女性誌の特集もだいたいこういう感じだ。るるぶとか。
ところで、この手のガイド本って、外国にもあるのかな?
案外日本だけだったりして。
レストランとホテル情報は必要だろうけれど、それ以前に必要な、
その国や町を理解するための知識・情報を軽視しているというのは、
歴然とあるような気がする。
やっと三冊目が私が必要とする本だったのでほっとした。
「だから、イスタンブールはおもしろい」澁澤幸子/著
のっけからトルコの他民族性、つまり混血性の記述に驚く。
民族・歴史が交錯するとは、確かに血が混ざるということだ。
トルコではそれを、人々がかなり意識的に生きているというのが面白い。
意識的と言っても、優劣や選別につながるというわけではなくて
(それもあるかもしれないけれど)、
両親や祖父母の出身出自によって習慣その他が異なるので、
付き合っていく上でまずルーツを確認するのがスムーズである、ということらしい。
それなのに、何代・何十代とルーツをたどるのは、日本ほど簡単ではない。
家計図のような整然としたものが残っていない。
つまり、ちょっと遡るだけで、ぐちゃぐちゃでよくわからなくなる、ということか。
ところで、トルコ人の祖先は中央アジアのタタールだという。
が、アジア系の顔立ちの人は少なく、全体ではタタールの血は10%ぐらいとのこと。
こんな話を少し読んだだけで、漠然としていた興味と好奇心が、
ぐっと具体的な輪郭を帯びたものになった。
漠然としていたのは、私が、これまで西欧側からみた情報により多く接していたからだ。
イスラム中東世界は、近現代に至るまで、いやいつの時代にあっても、
ギリシャ・ローマ・キリス教西欧世界に接する大きなひとつの文明世界だったのに、
その重要性は、”こちら”の世界ではずっと軽んじられてきた。
確かに、ヨーロッパにはある偏向がある。
日本はといえば、実際の距離を無視して、ヨーロッパのイスラム世界感を取り入れてはみたものの、偏向の土台となるキリスト教世界がまずよくわかっていない。
わからない偏向をわからないまま取り入れている、
そのわからなさが招く更なる偏向というものもありそうだ。
私たちは、歴史でも地理でも複雑に影響しあい、ときに支えあい、
あるいは押し合い、切り込み合ってきたこの二つの世界の実際を、まるで知らない。
そういえば、Tさん弟おすすめの「科学の源流」は、
科学の、ルネサンス・ギリシャ・ローマからイスラムに遡る流れを解説したもの。
この本は、なじみのない膨大な人名が出てくるので、
辞典を読んでいるような眠気に襲われてしまい、
なかなか読みすすめられない(おまけにほとんど覚えていられない)のが難。
それで面白いというのはおこがましいけれど、
でも面白い本ではある(と思う)。